小麦の粉

メルヘン系ブログ

let's go great escape‼︎‼︎

おなかすいた



バイト終わりに後輩と色々話している流れで、俺は何かを評価する時に偏見から受ける影響が強いと指摘された


俺は、今まで自分が偏見の強い人間だと思ったことはあまりなかった。あったとしても、自分が自分として生きてきた結果だと、それについてあまり深く考えることはなかった。

厳密にいえば偏見がない人間なんていないでしょ、ハハハくらいに流してきた


しかし、きょうの文脈において俺が納得した俺自身の偏見の強さは、それについて深く考えるに値するような性質のものだった。そういった種類の偏見が強いとすれば、あまり好ましくない性質のものである


いつもどんなものにおいても、想像もし得なかった考え方というのは納得性が高く見えるものだ。ファーストタイムのインパクトが落ち着いた頃合いに、もう一度これについて考えてみたい



あと、まだ自分が変われるのだな、ということを認識できたのは今日のとても大きな収穫

人に生き方を揺さぶられるのはとても楽しい


こういう感覚からひどく遠ざかっていた

悲しみをやさしさに

悲しみを何かに発散すると、余計に悲しくなります

monster dance

 

自分の態度ひいては人間性は、相対する人間のXによってころころ変わる

私に限った話ではないと思う。そうだとしておく

逆に言えば、他人の自分に対する態度は自分のXによって決まっているということ。だから期待されるのはとても嬉しいことだ。(過去に相対した)「自分」にその人にとって期待をかけるだけのXがあるということだから。そしてそれはとても大変なことなのだ……

 

ということを最近とみに思います

お互いに何も期待せず、そばにいるという機能のみを満たし合う関係は気楽です

 

また、もっと気楽なのは一人でいることです

 

生きるのは面倒です

Oh my darling!

darlingといえばMr.Children輿水幸子


弟はミスチルがとても好きだが、友人に聞かせてみたところ歌詞が暗いとの評価を受けたらしい。RADの歌詞は暗くないのだろうか

 

 

ダリ展に行ってきた


昔絵画というものには主に二つの存在意義があった。一つは情景をそのまま表現するためのツールとしての役割で、もう一つは宗教画として聖書の一節により現実味を持たせるような役割。しかしダリの生きた時代(20世紀)には、情景を完璧に捉える写真の技術が開発され、神は既にニーチェの手にかかった後だった。そんな時代の中で画家たちは「絵」をわざわざ書くことの意味を根本から考え直さなくてはならなかった……

なんていう時代背景のもとダリは絵を描いていた。(らしい。受け売り)

 

ダリの作品の中で私が一番面白いと感じたのは中期の作品だ。不自然さやシュールさがこれでもかと詰め込まれているのに、不思議と絵全体としてはまとまっている。そしてそれがまた逆に薄気味悪い、というような味の作品である。

一枚の絵に描かれている無数のモチーフを長く眺めていると、現実とそうでないセカイの境界が曖昧になるようななんとも落ち着かない気分になる。しかしなんとなく見入ってしまい、満足して目を離すとどっと疲れている、というようなことを繰り返していた。

 

このようなを作品を面白いと感じることができたのはなぜか、ということを考えてみる。考えてみるに、そこには上記のような前提知識を持っていたことが強く要因としてあるように思う。ダリの時代にはあえて絵を描くことの意義が云々というやつだ。

もしこれを知らなかったら、一見して何を書いているかわからない絵なんて普通に意味不明である。美しいだけの風景画や上手な人物画に意味はないという風潮が強かった20世紀と違って、今の時代は綺麗な風景画だってそこそこ評価される。いや知らないけど。とにかく、少なくとも俺にとってそういう絵には価値があるし、そういう絵を描かないでわざわざシュールな絵を描く画家なんてのは、頭がおかしいんだなくらいに思ってもおかしくない。むしろ当然の発想である。

小学生(と私)がピカソの絵を見て「こんなもん俺でも書ける」とほざくのと同じ論理である。

 

共感は納得に繋がる、ということを強く認識した1日だったように思う。


それだけに背景とか心情を発信受信するのが苦手な人は苦労するんだなあ。

性の喜びおじさんをバカにすんなよ!と言っていたラッパーの彼は、きっと感受性が高いのだろう。おじさんに対しての感受性なのか、世間の目に対しての感受性なのかはわからないけど


 

なんにせよ面白かった。美術館は空間そのものが幸せ

 

 

ちなみに

ダリは商業的に計画して成功した画家で、友人Mはその辺がだいぶ面白かったみたい。ダリの作品にはわかりやすい「ダリらしさ」が見えやすいものが多いんだけど、もしかしたらそれはブランド商法のためにわざとやっていたのかもしれないみたいな話


俺も面白いと思う。

フロイトの思想にも多大な影響を受けたらしくてその辺の話も面白いんだけど割愛。本気で生きた人の人生は面白みに満ちている。

正論ティー

特に何か書きたいことがあるわけではない

文章を書きたい気分なのだ。精神的に暇な状態であるためだろう。精神的に暇、とは取るべき最適行動が存在する状態でなんとなくそれを拒んでいる状態を指す。(今は間違いなく寝るべき。現在夜の0:52)


石井家

二日酔いはしなかったが、昨日の夜から明け方はとても辛かった。また、一日中体が重くぼーっとしていた

気持ちよく酔いかつ後日に響かないお酒の飲み方をしたい。難しい


堂島のブログ

彼女不要論を読んだ。そこそこの時間をかけて書かれていたようで、ストレスが溜まっているであろうことが読み取れた。

内容はさておき論の進め方が顔に似合わず丁寧で、やはり顔に似合わず繊細なやつなのだろう。神戸旅行の時も思ったし、在校時代からまあわかっていたことではあるけれど。厄介型ツンデレとでも言うべきか、なんにせよ難儀な性格である。

内容は、まあわからんでもない。ステータスとしての彼女を追い求めるのは確かにアホだと思う。が、一方でくだらない自我を尊重することはあまりバカにならないことだとも最近思うようになった。

自分のくだらなさやしょうもなさを全てつまらないものとして切り捨ててしまうと、恥を恐れて動くのを躊躇ってしまい人生全体の機会損失につながるようんじゃなかろうか。

結局自分をありのまま受け入れましょうみたいな話なんだけど。



こんな日常を

思えば、他人に影響を受けっぱなしの人生である。

他人からの目を本当の意味で意識できるようになった中学二年生以来、僕はいつも魅力的な誰かの背中を追いかけていた。


余談だけれど、TTYKをブロックしたのも少なからず影響を受け始めていることを自覚したからだ。彼は現実に生きる人間としての価値は皆無だが、しかし自分に自信があり、純粋なやつである。あれだけアホでも、まっすぐ生きている姿勢がどこか僕には魅力的に映るのだろう。ここだけの話、僕は彼をそういう意味で認めている。あれでまともなやつだったらきっと友達になっていた。つくづく悲しい男である。


閑話休題。そんな他人ありきの人間が他人との接触を絶ったらどうなるか、という人体実験を自ら買って出たのが去年の話。どうなっただろうか。辛くなった、当たり前である。

今年は比較的まともに大学に通っているので、友達が増えた。毎日顔を合わせるような友人もできてきて、辛い気持ちになることも少なくなった。


しかし、他人との接触の内容は高校以前と大きく変わった。あまり相互に影響し合うことなく、ただ一緒にいるためだけに一緒にいるような、そういう関わり方になった。面白い人間の価値観に影響されることもほとんどなくなった。末端の枝葉を揺らされることはあるが、根本から徐々に色を塗り替えられるようなあの感覚はもうなくなった。そして、それが何か寂しい。


これにはいくつか理由がある。

まず一つに環境。高校以前の環境にはクラスがあり、30人強の人間と毎日顔を合わせていた。人間が30人もいれば、誰か一人くらいは自分の感性に合うやつがいて、そいつと毎日喋ればなんとなく人となりが掴める。大学ではかなり無理をしないと毎日同じ人と会うということがない。ノンサーになってしまったことは本当に悔いている。僕の人生における数少ない大きな失敗の一つだ。

もう一つは年齢。本質的にはこちらが大きいように思う。僕はもう満20歳だ。他人とのすり合わせの中で自分の人格を形成する時期は終わった。各々形成し終えたその人格は、他人のそれとは最早決定的に違うもので擦り合せる余地などない。であるならば、他人に大きな影響を受けることもないだろう。


他人となんとなく同じ時間を過ごしなんとなく日々を過ごす真人間としての生活は、なるほどとても楽しい。

でもその楽しさは現在志向のもので、まだまだ未来に向けて立場が変わるこの時期に着地していいような場所でもないように思う。


もう他人から影響を受けることで充実感を得ることはできないが、今は今なりにやるべきことがある。それを強く認識して毎日を生きたほうが楽しいだろうな、と思いました。





まとまんねえ本当に文章書けないよヤバいよ


頭の中にあるモヤモヤを整理して文章にするのが俺のブログスタイルだから、抱えている問題になんとなく対する解答が出るのは書いている途中である。なのでその結論を認識してからの文章はそこに収束する内容なのに、それ以前の文章には全然まとまりがない、というようなことが起きる。だからと言ってわざわざ結論ありきの文章を最初から作り直すのもバカバカしく、しかしそのままだとあまりに文章としての見栄えが悪い…


ブログも難しい。眠い