浮草日記

メルヘン系ブログ

君が好きだと小さく呟けば

なんだかね

 

勝手に行き過ぎた罪悪感を持って他人から離れるの、マジで良くないとは思いつつもなんだかね

 

ゼミの先生は俺がゼミにあんまり行かなかったので心配しているらしい、というのを先生と仲のいい先輩に聞いた

 

罪悪感すごいけど、だからといって後期のゼミを切るわけにはいかない。楽をすればどこかにそのしわ寄せがくるのである…

 

ゼミ合宿行きたくねえ……

 

 

アライブファクター

幼稚かつごちゃごちゃした記事です



絵が上手い

歌が上手い

俺の知らない数学の概念を理解している

顔がいい

物語を書ける

大金を稼いでいる、またはその能力がある

女子高生とSEXができる、できていた

友達が多い、有名である



すげえなあと思う他人の持つ要素を適当に並べた

なんかこう、自分の中のコンプレックスを刺激する要因を過大評価しているなあという話

それがコンプレックスの定義だと言われればそれまでなんだけど



自分が自分であるということ以上に生きる意味っていうのはきっとなくて

自分というものは、死んだ時にそれまで生きてきた軌跡であって

軌跡というのは、自分の中にある価値観や哲学xに則って生きた結果である事実の連続f(x)で

t+1期のxは、t期のf(x)によって規定されてたらするんだけど、そのf(x)をxに還元する事象は、考えるという行為から成る



下手くそだな。簡単に言えば人生って


価値観に基づいた行動

→結果としての事実

-(考えるという行為)-

価値観の変化

→変化した価値観に基づいた行動

→結果としての事実

………


っていうループの連続で

だから考えるのをやめたら人生終わりなんだよね。そこで死んでんのと一緒だから


最大化する効用というか勝ち負けルールの定義は、今日と明日が楽しいってことでいいと思う。今日が楽しいことと明日が楽しいことは、同じくらい大切なことだ



なんかこう楽しく生きたいよね

楽しいのって、いいよね

うまく使うのも泣いてみるのも

このブログを読んでるような人はわかると思うんだけど、半年くらい前までの俺は結構死にたがっていた。本当に死にたかったわけじゃないけど、軽いキッカケがあり勢いで死んでしまった、という可能性はあったように思う


じゃあ今はそうじゃないのか、といえば正直よくわからない。自分自身が大きく変わったという実感はまるでない


ただ、やっぱり就活をしたことと、留年をしたことは大きかった。自分は変わらないが、周りの環境は変わった。自分がこれからの人生を自分の力で生きていくのだという実感は、俺の表層的な在り方を大きく変えたのだと思う


死にて〜笑のテンションで生きていけるならきっと一生そのままだっただろうし、それが無理だとわからされたから人生を多少なりとも前向きに捉えられるようになった



昔の話をしよう

高校生の時の俺は今よりもっとアイマスにハマっていて、それなりに値の張るクソしょうもないくじを引くなどしていた。

今はそういうものに金をかけようとは思わないし、なんならこの年齢でそういったものにリソースを割く人間を揶揄さえするかもしれない。

でも、そんな過去の自分がバカだったとは思わない。いやそらバカなんだけど。でもその時の俺がその時の俺なりに効用を最大化する消費活動が一回800円のアイマス一番くじだったってことも、今の俺にはわかるわけだ



こんな風に最近は、むやみやたらと過去を否定することがなくなった

過去の自分と向き合う姿勢は、このくらいでちょうどいいんじゃないかと思う。過去っていうのは未来から見た今なわけで、自己自我同一性が保証されている条件下において自分の過去を否定的に捉えることは、今の自分がいつかの未来において否定されることと同義だから



人生まだまだこれからだ


昔より人生が楽しいことが、本当に嬉しいよ




one of those night(⇔perfect night)

眠い


ワインセラーとして働く自分を想像した時、今までにないような充実感がそこにあるような気がした
人生の形はひとつじゃないよね

戦うことは生きること、というのは
生きるからには戦わなくてはいけないという意味だと思っていたけど、生きるという状態にとって一番自然なのは戦っている状態であるということなんだと思った
戦うことは辛いこと、ではない可能性もあるんだねえ

stand up to the victory

21歳になりました


色々な形で祝ってもらい、とても嬉しかった

来週はフルーツパーラーに行くのだ



今までは「どう生きるか」ということについて悩むことが多かったけれど、最近は「どうやって生きるか」ということについてよく考えている


生きるというのは、ただ生きるだけでそれはもう大変なことだ


だからこそ、それを前向きに捉えたいなあと強く思うのです


強くなろうね