小麦の粉

メルヘン系ブログ

ただ二人でいられたら

文化祭楽しかった

避難所民に限らず、同輩とはもれなく距離感最高すぎる

 

 

美しいモノを美しいねって笑って言い合える人間が欲しい

大事なのは価値観の共有と、価値観の共有をお互いがはっきりと認識してるところ

社会的な立ち位置や生理的な快不快を視野に入れると、その人間は女の子限定になる

性別以外すべてが自分と同じ人間が一人いれば、色々と解決する

 

 

カワバタに、お前とは飲みたくないって言われた

普通になんでだろう悲しい

 

 

避難所民掴み切れないランキング

もなか堂々の一位

読み切れないにもほどがある。深淵

メンヘラ三銃士とか言ってるけど、大魔王は格が違いすぎる

自分を見せたい、見せてるうちはメンヘラっつーかただのかまってちゃんだよ

 

 

演劇の台本って何を重視して書かれているんだろう

長らく、俺が俺の生き方を考えるにあたって最重要視されるのは普遍性だった。明日地球が滅亡しようとも、理不尽な拷問を受けようとも、とにかくどんな時もそれに忠実である。そんな考え方を求めていた。

しかし演劇の脚本というものはどうだろう、整合性とか普遍的な正しさを追い求めていないのに、それで良しとされるのである。長期的に見て正しくすべてが整った結論でなくてもよいと感じるのである。これはなかなか不思議なものだ。不思議というのはつまり、整合性や普遍性の絶対性に対する否定材料である。このことは、普遍性の有無は自分(大きく言えば人間という種族)にとって、そこまで大きな価値要素ではないという仮説を提唱するに十分な事実たりえる。

平たく言えば、演劇鑑賞が俺の普遍性信仰を少しばかり打ち砕くかもしれないという話だ。

とはいっても完璧な整合性のない演劇にも何か重要視するものがあるはずで、それがなんなのかを俺は知りたいのである。それを知ることで、俺の中で普遍性信仰に変わる新たな価値判断基準が生まれるかもしれないからである。

 

普遍性信仰は間違いなく完璧主義系メンヘラの特徴だと思う