小麦の粉

メルヘン系ブログ

こんな日常を

思えば、他人に影響を受けっぱなしの人生である。

他人からの目を本当の意味で意識できるようになった中学二年生以来、僕はいつも魅力的な誰かの背中を追いかけていた。


余談だけれど、TTYKをブロックしたのも少なからず影響を受け始めていることを自覚したからだ。彼は現実に生きる人間としての価値は皆無だが、しかし自分に自信があり、純粋なやつである。あれだけアホでも、まっすぐ生きている姿勢がどこか僕には魅力的に映るのだろう。ここだけの話、僕は彼をそういう意味で認めている。あれでまともなやつだったらきっと友達になっていた。つくづく悲しい男である。


閑話休題。そんな他人ありきの人間が他人との接触を絶ったらどうなるか、という人体実験を自ら買って出たのが去年の話。どうなっただろうか。辛くなった、当たり前である。

今年は比較的まともに大学に通っているので、友達が増えた。毎日顔を合わせるような友人もできてきて、辛い気持ちになることも少なくなった。


しかし、他人との接触の内容は高校以前と大きく変わった。あまり相互に影響し合うことなく、ただ一緒にいるためだけに一緒にいるような、そういう関わり方になった。面白い人間の価値観に影響されることもほとんどなくなった。末端の枝葉を揺らされることはあるが、根本から徐々に色を塗り替えられるようなあの感覚はもうなくなった。そして、それが何か寂しい。


これにはいくつか理由がある。

まず一つに環境。高校以前の環境にはクラスがあり、30人強の人間と毎日顔を合わせていた。人間が30人もいれば、誰か一人くらいは自分の感性に合うやつがいて、そいつと毎日喋ればなんとなく人となりが掴める。大学ではかなり無理をしないと毎日同じ人と会うということがない。ノンサーになってしまったことは本当に悔いている。僕の人生における数少ない大きな失敗の一つだ。

もう一つは年齢。本質的にはこちらが大きいように思う。僕はもう満20歳だ。他人とのすり合わせの中で自分の人格を形成する時期は終わった。各々形成し終えたその人格は、他人のそれとは最早決定的に違うもので擦り合せる余地などない。であるならば、他人に大きな影響を受けることもないだろう。


他人となんとなく同じ時間を過ごしなんとなく日々を過ごす真人間としての生活は、なるほどとても楽しい。

でもその楽しさは現在志向のもので、まだまだ未来に向けて立場が変わるこの時期に着地していいような場所でもないように思う。


もう他人から影響を受けることで充実感を得ることはできないが、今は今なりにやるべきことがある。それを強く認識して毎日を生きたほうが楽しいだろうな、と思いました。





まとまんねえ本当に文章書けないよヤバいよ


頭の中にあるモヤモヤを整理して文章にするのが俺のブログスタイルだから、抱えている問題になんとなく対する解答が出るのは書いている途中である。なのでその結論を認識してからの文章はそこに収束する内容なのに、それ以前の文章には全然まとまりがない、というようなことが起きる。だからと言ってわざわざ結論ありきの文章を最初から作り直すのもバカバカしく、しかしそのままだとあまりに文章としての見栄えが悪い…


ブログも難しい。眠い