未来はきっと
プラリネ は、焙煎したナッツ類に加熱した砂糖を和えてカラメル化したもの。製菓原料として使用される。 粉砕・ペースト化したものや、焙煎したナッツのペーストと砂糖との混合物を指すこともある
アイドルマスターミリオンライブから、「プラリネ」という曲を紹介します。
歌詞
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まだあたしにだって
子どもみたいに 信じる力があるよ
ってフレーズがありまして。ええ急に始まります。
昔、幼かった頃はこういう歌詞が嫌いだったんだよね。子どもに過度な無垢さを押し付けるようなフレーズ
AKBのbegginerって曲の
今調べたら2011年だから、中2か3の頃になるかな
今僕らは夢見てるか?子どものようにまっさらに
って歌詞を聴いて、子ども舐めんじゃねえぞと思った記憶がある。
少なくとも俺は、記憶に残ってる範囲でまっさらに夢を見てたことなんてない。だからかな、作詞者だって昔は子どもだっただろ、その時自分はまっさらに夢なんて見てたか?(反語表現)って思ってたんだよね。アイドル業界にはやっぱりそういう人多いのかな。この歌詞が想定してる「子ども」が3歳とか5歳って可能性も考えたけど、そりゃさすがにないよね。今僕らは夢見てるか?って提起で、ウルトラマンになりたいガキと20前後のわなびを比較するのはさすがにヤバいよ。
まあ普通に考えたら、たぶんサッカー選手とかケーキ屋さんとかパイロットとかそういう夢でしょう。小学校中学年くらいの。
まーとにかく、そういう表現が嫌いだったという話。でも、プラリネの「子どもみたいに信じる力があるよ」は、今すごい好きなんですよね
1.年齢が違う
2.歌い手に対する印象が違う
3.まっさらに夢を見ると信じる力があるという表現の違い
が印象の差異を生み出した原因であろうとは思う。
2の影響はまあ実際大きい
3も結構ある。信じる力っていうのはまあなんとも曖昧だけど、中3当時からしても過去の自分と比較して認識できるものだった。少なくともまっさらに夢を見ていることよりは
絶対に
それでも、やっぱり年齢によるところが大きいんだろうね。いや当たり前だけど
結局俺も、自分が昔忌み嫌ってた「過去自分が子どもだったことを忘れて一方的な理想像を押し付けるおっさん」にある程度なってしまったのかしらね。
ただ、この曲のいいところは子ども(=自分の過去)に勝手な解釈をするだけじゃなくて、最後に
未来はきっと
子どもみたいに 信じるほどに光るよ
ってフレーズで終わってるところだと思う。未来を見据えて今を生きるための姿勢として、過去を利用する姿勢が清々しいというか、粘着質じゃないというか、うーん。
どうもbegginerを聞いた時には脳死で子どもの自分に万歳三唱してるイメージがある
プラリネは、「きっと」の力が大きいのかもしれない。無条件に肯定しないかんじ?
begginerだって今を生きるやり方として過去を振り返ってる歌詞なわけだし、印象の違いは表現からくる部分が大きいのかもしれないっすね
本当はもっとちゃんと紹介記事を書こうと思ってブログ開いたんだけど、やっぱり専門知識なしに曲の良さを説明することには無理があるって指先の際に学んだのでね。こんなかんじで
nano.ripeが作詞作曲してミリマスに提供した楽曲は今のところ全部で3つあるんだけど、その中だとプラリネが一番キャラのこととか何も知らなくても純粋に子どもみたいに楽しめる楽曲だと思うので、記事にしました。
興味出たら是非聞いてみてね
音源欲しかったら是非言ってください