浮草日記

メルヘン系ブログ

街を埋め尽くす桜の花に夏を待つ私

今日が21歳として迎える最後の夜になるらしい。

 

17から18、18から19、19から20の誕生日などには、これから何かが大きく変わるかもしれないという漠然とした感覚があった。何も行動をおこさなくとも、明日の自分には今までになかった何か特別なことが起きるのではないか。意識的に考えていたわけではないが、なんとなくそういった期待感をもって誕生日と一つ上の年齢を受け入れて来た。(ほんとか?)

 

でまあこの歳になるとそんな感覚はもうなく、しかしまあやっぱり感慨がないといえば嘘になる。感慨がなかったらこんな記事が存在するわけがないのだ。

 

最近は気分が落ち込むことはあっても、悩んだり自分の方向性について考え込むことは少なくなった。つまり実際にそれを選択できるかは別にして、合理的な選択肢が常に最適解として頭に提示されているような状態である。

 

三行で矛盾するが、しかしここ二、三日はまた少し昔のような悩み方をしている。

なんでだろうと考えれば、もっともらしく実際的な理由はいくつかある。思い当たる節というやつだ。

 

でもそれは、説明になっているようでなっていない。それらは悩みが表層化する要因であって、悩みそのものがあることを説明していない。

ってことは「なんでここ二、三日」の説明にはなってるか。思いついたことを適当に打ち込んでいるのがバレたけれど、まあ俺の問題提起がどこにあるのかは大体わかってもらえたと思う。

 

なんかこう、根っこの部分にモヤモヤしたものがあって、それはうまく隠すことができても消えているわけではないんだよなあということ。22歳のうちにケリがつくのか、はたまた死ぬまでのお付き合いなのか。

 

正体くらいはわかるといいね。よい一年になりますように