もどかしい世界の上で
君と笑いたい
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『俺を彼氏にするメリット』
こんな話あったね。いつぶりかわかんないけど少し結論は出たと思う
これって結局自分という人間の好きなところはどこですかって質問のすり替えというかそういうものであって、そうだとするならば俺のそれは『あなたのことを思いやること』かな。その人もおらずただこんなこと言うのほんと気持ち悪いけどさ
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JG文化祭
よかった、とてもとてもとても
MZNの落研つながりで招待させていただく。落語は、やっぱり女子が特異な演技ってあるなって思った。
さておき、全体の感想。女子特有の生真面目さとか丁寧さが展示の随所に表れてて、こういうの文化祭っていうんだなあってかんじだった。海城の文化祭はやっぱり内輪で楽しむ要素が強くて、ありのままの生徒の雰囲気を見てもらうってスタンスだけど、それとはまるで違う。書道部美術部漫研数学どこいっても展示がガチ。少しずれるけど、特に美術部漫研あたりは俺の好きな作風のものが多くてとてもよかった…。
中二の生態!みたいな展示と茶道部だけはほんとに行けなくて残念だった
ひとしきり展示を見た後は、弦楽アンサンブルとバンドを聞きに行く
あのねえ
弦楽アンサンブルがね
ほんとにすごかった
感動という言葉の用例に今日の体験を用いたい
リアルに知らないセカイ。ヴァイオリンヴィオラチェロコントラバスで様々に音楽を奏でるんだけど、とてもすごかった。普通にすごいのに、「女子高生が」補正とか「最後のライブ(だった。MCで泣いたりしてた)」補正とかが絡まってもうほんとにさあ
9人のグループだったんだけど、壇上で演奏してる9人の姿がさ、もうそれだけ芸術的なんだよな。人がというより空間として美しかった。
左から順にリーダー風のVa娘,Va1,Vn2,Vc1,Cb2,Vn2って構成だったと思う。Vcの人だけ座ってて、Cbは大きいから床に底面をつけて演奏してた。他の人はみんないわゆるヴァイオリン持ち。VaVn娘ズ特にリーダー娘は体を動かしながら前進で音楽を表現してていた。
あの空間が一つの大きな芸術作品でした、ええ
バンドはこれまたこれが最後らしい。これは今この記事書いてるときにもっかいじっくりパンフ眺めて知ったんだけどね。
ベース兼サブボーカル、キーボード兼メインボーカル、ギター、ドラムの四人組。
メインサブボーカルが結構ガッツリ服着て面白い化粧とかしてる中、少し小さいギターの娘(さいとうさんらしい)はジャージを着て、客席にむかってずっと半身で演奏していた。低身長適度にクール娘。MCのフリとかにはきっちり応えるけど、ボーカル二人ほど客を煽ったり一体感を求めたりしないかんじ、伝わるだろうか未来の俺よ。マジカッコよくて、変な意味じゃなくて惚れた。ジャージもズボラなわけでなくどこか着こなしているというかカッコイイ。それでいて童話研究会所属というのもまたなんかいい。幻想が現実に降り立った瞬間であった。いやまあ幻想だけどさ
バンドそのものもよかった。ドラム存在感あってめっちゃうめえし、オリジナルの曲もかなりよかった。あえて言うならメインボーカルの娘の滑舌が気になった程度。聞いててその空間にいて楽しかった。
全体的に思ったのは、やっぱりキッチリしているというか、見せるものに絶対に手を抜いていない。音楽にしろ絵にしろね。
それは俺や俺の育ってきた環境下の人々からすると不自然、幻想的だと言って差し支えないほどのことで、しかもそれを女子高生という幻想の総本山みたいな集団がやってるわけで。そりゃあ未知を体験した気になるよな。
いつも言ってる『幻想』を感じられたとてもいい一日だった。
うーん、俺が言いたいのってこんなことなのかな…なんかやっぱり思い出は良い方にも悪い方にも風化するもので、あの時俺が感じた感動みたいなものがここにちゃんと表わせたとは思えない。少し悲しい。まあ今できる精一杯のありのままを書いたつもりだ。
きっと、それが大事
触発されはしたものの
書くこともなし
あれで自分に自信がないってんだから嘘だぜ
本読めって話だなうん。構成とか普通に本読んでるようだった
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人と本気で話せば話すほど、自分という人間は本当に何も考えていないということを実感させられる。考えていないというのは嘘か。常に何か考えてはいる。人と自分の違いとか自分に致命的に足りてないものとかどうしてこんなアホやってんのかとか。バイト中とか寝る前に色々考えてたそういうこと、全部忘れてしまう。基本的にはやるしかないって結論に至ることが多くてつまらない。そんなことはわかってて、やれていないんだから。ずっと考えてるうちのいくつかは、面白い発見があったのだけどね。忘れてしまうよ
座布団もないのに俺は今までどこに胡坐をかいていたのだろう、そしてどこに胡坐をかき続けていくのだろう
なし崩し的にこんな性格を受け入れてしまうのかしら、いつかどこかで変わるのかしら
どちらにせよとある一点で考え方が大きく変わるなんてことはないのだけれど。悩んでいるポーズを取るのが好きなのかもね。そこまで悩んでいるわけでもなし、実はもうとっくに割り切れているという言い方もできるかもしれない
12時過ぎの魔法
現在1:27です!
むしろ12時過ぎてから魔法かかってるみたいなとこある
MZNは12時以降起きているとこをを「駄覚醒」と表現していたがその通りだと思う。今まで生きてきて、日をまたいでからなにか有益なことをした記憶がない
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村の人生
もう少しうまいネーミングはなかったのか
面白い。ボドゲは考察固まってない黎明期にワイワイやる雰囲気が一番好きかも。プエルトリコはわかりやすく考察ゲーというか考察から導かれる戦術とか定石が生かされるゲームだけど、たぶんこれもそうだと思う。点取れる要素が確定してる以上、少なくともゲーム終了時に何点くらいは欲しいとか、ここが一番稼ぎやすいとかあるもんね
ただ立方体の置き方がランダムな以上パターンはかなり多いから、プエルトリコみたいにカッチリした定石みたいなものを把握するというよりもその場その場の判断が大事になりそう
もなかが来たのびっくりした。嬉しい
それなら飯食いたかったなあ。しゃけは金がかからない嗜み方あればってかんじ。どっか店入ってってほどのモチベはなかった
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アイマスがこんなにも長く生きている理由
わからん。僕は10年前から知っていたわけじゃないから
ただまあ言えることがあるとすれば、コンテンツそのものの魅力は勿論あるにせよ、その経営戦略みたいなものが大きなファクターではあると思う。
もうアイマスと付き合い始めて4年くらい経つが、とにかくアイマスはいつも何かしらやってるというか、話題性を絶やさない。ゲーム出したりライブやるのは勿論、一番くじやってたりウエハースとかフィギュアの新しいシリーズどんどん出したりとか、ずーーーーっと金と引き換えに楽しさを提供してくる。このことは大きいと思うよ。飽きる暇を与えてくれないもん。
二次創作分野が発展してるのもそれに関わってくる。毎日様々な分野に幅広く大量の動画が上がり、(アイマスキャラがカタン、プエルトリコをやるなんてのもある)まとめサイトに2.3SSがまとめられる。pixivやらtwitterに絵を描く人も多いし、アイマスオンリーの同人イベントも結構な数ある。
少なくとも俺が今もアイマスに飽きてないのはこういうところが大きいと思う。公式がどんどんネタ提供してきてそれを使ってみんなで楽しみましょうねみたいなかんじ
アニメ以前のことはなんとも。今とは全然違うコンテンツだったんじゃないかなあ。そもそも今は二次元ってジャンルがある程度市民権得てるというか有名になったし、その中でもアイマスは一定の地位を築き上げてるからね。状況が違うよ
やっぱり普段から考えてないことをしゃべってもどこか薄っぺらい
前回記事のが面白い事書いてた自信ある
穴倉アナグラム
Google検索したら絶対なんか出てくる
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・ボドゲオフ
カタン勝ったしプエもいいとこまでいったしまあよかった。プエは今日のゲームでなんか一つレベルアップした気がする。ゲームを少し大きな視点から見られるようになった…気がする。楽しいね、ボドゲ
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・闇
深くない。今はすこぶる快調
鬱期の文章の迷走感はヤバい。その時何に迷ってたのかがわからないし、実際今もわかってない。時々それが来るってことは、問題の根本的なところを理解しきれていないし理解しようとしていないんだろう
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なんだこれは…
EDのリリーナかわいい
インポではない
5話現在普通に面白い。ゲスババアウザい。ヒイロくんには精神安定剤処方してあげたい
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・アイマス
SS読んでたら触発されて、アニマスの講評とか書きたくなった。
ここではそもそもアイマスとはなんなのか?ということについて書こう。
そもそもこのコンテンツの特異性は、キャラが単なる「ゲームのキャラ」の枠に収まりきらないところにある。キャラコンテンツではあるけどそんじょそこらのキャラ萌えコンテンツとは違う。
人間にはそれが誰であれいくつかの顔がある。俺が避難所の良心だけどアイマス豚で、KWBT暗殺計画を企てるゲスでありながらしかしメンヘラ三銃士であるように、どのように見るかで人の評価はまるで変わってくるし、でもどの側面だって紛うことなく俺だ。アイマスのキャラは10年という時の中で実に様々な顔、側面を発掘されてきた。一見矛盾するような二面性もそれは彼女らのモノで、それは公式の雑さや失敗のせいではない(そうかもしれないが、そうでないと考えるのが自然だしそうであるべき。成績がいいけどアホの子な我那覇くんとかがそれにあたる)。だから、キャラにどんな側面を見つけ出そうと、それはあなたの自由である。それぞれがそれぞれの思った通りにキャラを設定して萌えられる愛でられる憧れられる。大筋としては決められていながら自分の思った通りに動くキャラ。そういったものを一人一人が自由に設定してその言動や行動を想像、創造するところに真価があるわけだな。
だから二次創作が捗るのは当然だし、その人によってキャラ解釈は全く違う。違っていい。そしてそれを共有する。価値観の共有である。
怒られるかもしれないが、やっていることはある風景から俳句や短歌を作る、といった行為と似ていると思う。大筋は決まっていて、でも人それぞれの味が出る。うまいものは評価されるし共感を呼ぶ。
こんなかんじの楽しみ方がしやすいのが、アイマスというコンテンツならではの魅力。僕はとても好き。おしまい
キモいやろなあ
ただ二人でいられたら
文化祭楽しかった
避難所民に限らず、同輩とはもれなく距離感最高すぎる
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美しいモノを美しいねって笑って言い合える人間が欲しい
大事なのは価値観の共有と、価値観の共有をお互いがはっきりと認識してるところ
社会的な立ち位置や生理的な快不快を視野に入れると、その人間は女の子限定になる
性別以外すべてが自分と同じ人間が一人いれば、色々と解決する
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カワバタに、お前とは飲みたくないって言われた
普通になんでだろう悲しい
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避難所民掴み切れないランキング
もなか堂々の一位
読み切れないにもほどがある。深淵
メンヘラ三銃士とか言ってるけど、大魔王は格が違いすぎる
自分を見せたい、見せてるうちはメンヘラっつーかただのかまってちゃんだよ
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演劇の台本って何を重視して書かれているんだろう
長らく、俺が俺の生き方を考えるにあたって最重要視されるのは普遍性だった。明日地球が滅亡しようとも、理不尽な拷問を受けようとも、とにかくどんな時もそれに忠実である。そんな考え方を求めていた。
しかし演劇の脚本というものはどうだろう、整合性とか普遍的な正しさを追い求めていないのに、それで良しとされるのである。長期的に見て正しくすべてが整った結論でなくてもよいと感じるのである。これはなかなか不思議なものだ。不思議というのはつまり、整合性や普遍性の絶対性に対する否定材料である。このことは、普遍性の有無は自分(大きく言えば人間という種族)にとって、そこまで大きな価値要素ではないという仮説を提唱するに十分な事実たりえる。
平たく言えば、演劇鑑賞が俺の普遍性信仰を少しばかり打ち砕くかもしれないという話だ。
とはいっても完璧な整合性のない演劇にも何か重要視するものがあるはずで、それがなんなのかを俺は知りたいのである。それを知ることで、俺の中で普遍性信仰に変わる新たな価値判断基準が生まれるかもしれないからである。
普遍性信仰は間違いなく完璧主義系メンヘラの特徴だと思う
その、美しい嵐の日に
【お天気】
今日はすごい天気だった
朝(9:30頃)起きると猛烈に雨。
朝飯食べてからダラダラしているといつの間にか二度寝していて起きると(12:30)まだザン降り。
16時ごろ雨がやんで明るい日差しが差し込んだと思ったらすぐにまたそこそこの雨。天気雨の中くっきりとした虹が出てきてなんだか幻想的。すごい好きなかんじだった。ARIAで出てきそうな天気だった。
一時間くらい振ったと思ったら急に黄砂が待っているかのように黄色く染まる空。
なんだかこの景色、神が我らに与えたもうた贈り物みたいだね~
宗教色の強い台詞、禁止!
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【ARIA】
実は中二の時にも一度見ている。まあ今となってはまるで内容覚えてないけど
その時は何だこのアニメ時間が進まんなくそつまらんとか思った記憶がある。見ながら寝てたし。
今あらためて見てみると、このアニメすごい面白いし牧野由依の挿入歌も心に刺さる。この違いは、俺が当時なかった審美眼を手に入れたからというよりも、その時その時の感性が違うからなんだろうなって思う。中二の時とかは毎朝早く起きて部活に欠かさず出る(この時はちゃんと出てた)ことだけでいっぱいいっぱいだったし、日常生活を送る上で何か頑張ろうという気持ちになれるようなエネルギー材を求めていたんだと思う。だからバカテスが面白かったし電撃文庫もよく買った。今は時間あるし色々と余裕ある分、生きる意味とか考えるようになってしまったからそういう面で観れるARIAにハマってるんだろうなあ。中二当時の俺が見たい面をARIA
は持ち合わせていなかった。でもたとえば受験期の俺が求めていた側面(それは今の俺の見ている面とは違う)から見てみるのも面白そう。10年経ってから見てもまた新しいことに気付けるだろう。
良アニメの定義って色々あると思うけど、作品全体の深みという意味で言うなら結構な名作だと思う。今の俺が見出してる面白さはアニメだからこそみたいなところあるから、原作読んだ時にどうなのかも気になる。
あかりちゃんええわ。主人公の好感度がぶっちぎりで高い作品って初めて
だなあ。他が嫌いというわけではなく、むしろ本当に皆とても好きなんだけど。
性格悪いやつがいなくて優しい雰囲気は、君に届け読んだときと同じ心地よさがある。
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【Twitter】
依存しすぎなのでツイ減します
大きく手を振って
深呼吸しよう
おおふりではない
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・ARIA
好きですわゾ~これ
挿入歌はいるとボロボロ泣いてしまう。あかりちゃんステキすぎるねん、神かもう
映画公開されるまでに全部見たいけど、一気見すると飽きそうなのでちょいちょいガンダムWでも挟もうと思っている。
・暇
だったのでお散歩というかぶらぶらした
まずは天使のくれた時間(THE FAMILY MAN)という洋画を探しにTSUTAYAへ。しかし見つからなかった。地元のTSUTAYAはあんまり品ぞろえ良くないしCD借りるなら池袋行くなって感じだった。牧野由依のアルバム借りるか悩んだけどやめた。とりあえずARIA見終わるくらいまでは神格化してたいし飽きたくない。
おかしのまちおかで飲み物(メッツの缶が60円だった。買った後よく見たらゼロカロリーだったので萎え)を買うついでにキシリトールを補充、ダイエーに向かう。久々にゆびーとをやった。これやっぱ楽しい。練習してうまくなろうとまでは思わないけど。
その後本屋へ。文庫本やら実用書の類をスルーして漫画コーナーへ。フルーツバスケットの特装板が一冊1000円で二巻出てて、買おうか迷った挙句金銭事情を鑑みて諦める。そういえばTOEFLを受けようと思っていたことを思い出し、その辺りのコーナーへ。TOEIC用の本ばかりで品ぞろえが薄かったので、ダイエーを出て国道沿いの文教堂ゲオ複合店へ。
文教堂にもあまりめぼしいものはなかった、TOEFL対策の本がそもそも少ないのかも。雑誌の表紙を眺めつつゲオの方へ。中古で剣と魔法と学園モノとかいうようわからんゲームを買う。PSPで500円だった。今からやってみる。THE BESTだったしまるっきりクソゲーってことはないだろううん。
帰ってARIA見てなう!生活習慣のためにも1時前には寝る予定だ