目の奥まで苦い
新卒として配属されてから、早いものでもう二ヶ月が経とうとしている。
一戦力として数えられるにはまだまだ足りない部分が大きいし、まあでも二ヶ月前よりは「仕事」というものそのものに慣れたような気がする。
メールを打つ際の、このような
なんだかよくわからない改行にも
徐々に慣れてきた。
本当に読みやすいんだろうかこれ。
同期とも、課内の先輩とも、課外の人とも全体的にうまくやれている。
先輩に奢ってもらって酒を飲んだりカラオケでオールしたりもした。うちの会社はとにかく人がいい。「人がいい会社」の地雷感は半端じゃないが、実際居心地がいいので仕方ない。
しんどい飲みに出会う気配もないし、そういう噂も聞かない。内勤のうちはほぼほぼないだろう。
彼女ともまあうまくやっている。
社会人になって少し距離感が落ち着いて、金銭的にも余裕が出た。向こうは向こうで忙しそうにしているし、たまに会えば楽しい。
ー
当ブログの熱心な読者の中には、ここまで読んでみて違和感を覚えた方も少なくないのではないだろうか。つまり
これ、ふらわーさんのブログの書き出しか?
ってことである。
俺のブログといえば
最近あった嫌な出来事
→暗い抽象化
→もやっとした結論
これ。これである。
これが王道の浮草日記150歌(多すぎる)の鉄板の流れなのだ。
今歌はこの流れを大いに逸脱している。
いつものうじうじした問題提起はどこにいったのだ!?
ー
本当はここから
・なんとなく不満のない安寧を与えられてから色々なことを深く考えなくなった
・ツイッターで時々手頃なバカをインスタントに消費することで、感情の起伏が収まってしまうようになっている気がする
・最近全体的に牙抜かれてねえか?これが自己闘争の果てに手に入れた安寧だとしても、もっと積極的に不満足と戦っていたい
(※)
みたいなことを書こうとしたんですが、どう転んでもつまらなそうだったのでやめます。
なんかこういう文章を書けなくなっていること。
心が揺れるような個々の事象に出会わないからなのか、俺自身がストレスから身を離しすぎているからなのかはわからないけど、つまんなくなっちゃったなあと思う。
上記(※)のようなうすぼんやりとした問題意識をはっきり顕現化させてくれたのは、こういう文章が書けなくなってるというところかなあと思った。
(※)で終わらせるのは、嘘ではないんだけど、一つ記事としてまとめるには自分の中の感情が弱すぎて、文章を書けないことへの焦りがあってようやく、一つ記事として公開することを許せるくらいの重みを持たせられた。
戦っていたい。
戦うことは生きることなのだから。