浮草日記

メルヘン系ブログ

暗闇を抜けて

過去のブログを読み返してみると、まあやっぱり常に義務から逃げているんですが、状況に応じてその逃げ方に差があるなあと思いました。本当にどうでもいいので割愛


さてさてそれで現在の話

ろるしてる人はなんとなくわかると思うんですけど、ぼくここ一ヶ月くらいマジでほとんど授業出てないんですよね

まあ風邪ひいたり学外の用事が重なったりもしたんですが、まあそれにしても本当に出ていない


じゃあ何してるかっていうと、これが何もしてないんですね


朝9時くらいに起きてその日やりたいことをやって、夜2時くらいに寝る。みたいな生活を繰り返してました。一ヶ月くらい。ふつーーにクソニートですね。週3でバイトしてるの我ながらすげーリアル。

まあクソ大学生の一つの典型的なパターンだとは思うんですけど


今日ふと朝から昔のドラマ見てる自分が虚しくなりまして、本当に悲しくなったので明日からは授業出ると思うんですね。あ、ちなみに明日は普通に全休なので中華街行ってくるんですけど。正確には明後日からですね


なんで急に寝てない自慢みたいなことしたかって話なんですけど

なんかぼくの人生、こういうクズ期が定期的にくるんですよね

定期的に来るというより、よっぽど気合い入れて何かしようという気概がないとずっとこんなんなんですよね



俺が生きてる意味、あるのか?(反語表現)


人生とはこうしたもの

今日は上野の怖い絵展に行き、映画『it』を見た



怖い絵展は面白かったが、期待していたほどのものかといえば疑問が残る。

『怖い』という感情をそのままテーマにしているくらいだから激しく感情を揺さぶられるのだろう、と期待していた私にとっては少々肩透かしだった。


美術展には特定のテーマや人物について年代順にまとめたものが多く、その形態が僕は好きだ。その人の考え方や表現方法の変遷がわかりやすく理解できるためである。

しかし、怖い絵展は違う年代のものを乱雑に並べている印象が強かった。個々の絵は全体的にそれなりのインパクトがあるものの、絵単体にぐわっと引き込まれるような感覚は味わえなかった。たとえばダリ展に行った時はかなり感性を刺激されるような感覚があったのだが。


テレビで特集されたせいらしいが、1時間強待ってまで入るほどのものではないというのが正直な感想だ。

どちらかと言うと、私がより強く惹きつかれたのは公園そのものだ。日差しが強い中少し冷たい風が吹く今日の上野公園は、とても心地よく、さわやかな秋の匂いがした。



昼食後、映画『it』を見た

結論から言うととても面白かった。ホラーというか、一つの映画作品として質が高いと思う。知らんけど

映画館でホラーを見るのは人生初の体験なので他の映画がどうなのかはわからないが、itはホラーパートがホラーパートとして独立していないところがとても良かったと思う。

これ以下ネタバレを含むので視聴予定のある人は見ないでくれ。割とマジでオススメなので、極端にホラー苦手じゃなければ是非見てほしい。


ざーーーっくり言うと、itはどこか普通でない少年たち(自称loser's club。母親に過剰な束縛をされていたり、吃音症だったり、黒人やデブということでやべーいじめられ方してたり)が恐怖に打ち勝つ物語だ。

物語の中で少年たちは、自分の最も怖いものに変身した異能キチガイカニバリズムピエロに殺されかける。ピエロはきまって少年たちが一人の時に現れる。演出が上手いと思ったのは、少年たちにとっての恐怖体験がそのまま視聴者にとってのホラーシーンとして恐怖を与えている点だ。

物語の中で子供たちはみんな恐怖を植え付けられてるんだけど、視聴者もそのシーンではホラーの演出に恐怖してるから子供たちに共感できる。子供たちも怖いし、俺たちも怖い。子供たちが怖いのめっちゃわかる。まあホラー映画なんだからそこは当たり前。

この映画の面白いところは、子供たちと視聴者が共有してる恐怖という感情を、子供たちが最後に団結して克服するというところ。恐怖を共有してるからこそ、克服するシーンにはとても感動したし、その勇気と強さがよりリアルに伝わってくるんだよね。うおーすげえ!ってなる。こんなに怖いのによく頑張ったよ!勇気あるんだな!って。


ホラーパートが独立していないというのはそういうこと。ホラー映画だからホラーシーン流すやで!っていうんじゃなく、ホラーシーンから受け取る視聴者の感情までちゃんと計算して丸々一本の映画作ってるんだよね。

まあ勇気とか団結ってのは勿論後付けのテーマだとは思うんだけど、それにしてもよくまとまっててよかった。


ちなみにホラーパートは普通に怖かった。音楽がずるいよ音楽が。感情はコントロールできませんね。頭は強くないようなシーンでも、音楽流れると心と体はめっちゃ怖がるんだよね。

未来はきっと

プラリネ は、焙煎したナッツ類に加熱した砂糖を和えてカラメル化したもの。製菓原料として使用される。 粉砕・ペースト化したものや、焙煎したナッツのペーストと砂糖との混合物を指すこともある


アイドルマスターミリオンライブから、「プラリネ」という曲を紹介します。

歌詞


まだあたしにだって
子どもみたいに 信じる力があるよ

ってフレーズがありまして。ええ急に始まります。
昔、幼かった頃はこういう歌詞が嫌いだったんだよね。子どもに過度な無垢さを押し付けるようなフレーズ

AKBのbegginerって曲の
今調べたら2011年だから、中2か3の頃になるかな

今僕らは夢見てるか?子どものようにまっさらに

って歌詞を聴いて、子ども舐めんじゃねえぞと思った記憶がある。
少なくとも俺は、記憶に残ってる範囲でまっさらに夢を見てたことなんてない。だからかな、作詞者だって昔は子どもだっただろ、その時自分はまっさらに夢なんて見てたか?(反語表現)って思ってたんだよね。アイドル業界にはやっぱりそういう人多いのかな。この歌詞が想定してる「子ども」が3歳とか5歳って可能性も考えたけど、そりゃさすがにないよね。今僕らは夢見てるか?って提起で、ウルトラマンになりたいガキと20前後のわなびを比較するのはさすがにヤバいよ。
まあ普通に考えたら、たぶんサッカー選手とかケーキ屋さんとかパイロットとかそういう夢でしょう。小学校中学年くらいの。


まーとにかく、そういう表現が嫌いだったという話。でも、プラリネの「子どもみたいに信じる力があるよ」は、今すごい好きなんですよね

1.年齢が違う
2.歌い手に対する印象が違う
3.まっさらに夢を見ると信じる力があるという表現の違い

が印象の差異を生み出した原因であろうとは思う。
2の影響はまあ実際大きい
3も結構ある。信じる力っていうのはまあなんとも曖昧だけど、中3当時からしても過去の自分と比較して認識できるものだった。少なくともまっさらに夢を見ていることよりは
絶対に

それでも、やっぱり年齢によるところが大きいんだろうね。いや当たり前だけど

結局俺も、自分が昔忌み嫌ってた「過去自分が子どもだったことを忘れて一方的な理想像を押し付けるおっさん」にある程度なってしまったのかしらね。

ただ、この曲のいいところは子ども(=自分の過去)に勝手な解釈をするだけじゃなくて、最後に

未来はきっと 
子どもみたいに 信じるほどに光るよ

ってフレーズで終わってるところだと思う。未来を見据えて今を生きるための姿勢として、過去を利用する姿勢が清々しいというか、粘着質じゃないというか、うーん。

どうもbegginerを聞いた時には脳死で子どもの自分に万歳三唱してるイメージがある
プラリネは、「きっと」の力が大きいのかもしれない。無条件に肯定しないかんじ?
begginerだって今を生きるやり方として過去を振り返ってる歌詞なわけだし、印象の違いは表現からくる部分が大きいのかもしれないっすね

本当はもっとちゃんと紹介記事を書こうと思ってブログ開いたんだけど、やっぱり専門知識なしに曲の良さを説明することには無理があるって指先の際に学んだのでね。こんなかんじで

nano.ripeが作詞作曲してミリマスに提供した楽曲は今のところ全部で3つあるんだけど、その中だとプラリネが一番キャラのこととか何も知らなくても純粋に子どもみたいに楽しめる楽曲だと思うので、記事にしました。

興味出たら是非聞いてみてね
音源欲しかったら是非言ってください