浮草日記

メルヘン系ブログ

うまく使うのも泣いてみるのも

このブログを読んでるような人はわかると思うんだけど、半年くらい前までの俺は結構死にたがっていた。本当に死にたかったわけじゃないけど、軽いキッカケがあり勢いで死んでしまった、という可能性はあったように思う


じゃあ今はそうじゃないのか、といえば正直よくわからない。自分自身が大きく変わったという実感はまるでない


ただ、やっぱり就活をしたことと、留年をしたことは大きかった。自分は変わらないが、周りの環境は変わった。自分がこれからの人生を自分の力で生きていくのだという実感は、俺の表層的な在り方を大きく変えたのだと思う


死にて〜笑のテンションで生きていけるならきっと一生そのままだっただろうし、それが無理だとわからされたから人生を多少なりとも前向きに捉えられるようになった



昔の話をしよう

高校生の時の俺は今よりもっとアイマスにハマっていて、それなりに値の張るクソしょうもないくじを引くなどしていた。

今はそういうものに金をかけようとは思わないし、なんならこの年齢でそういったものにリソースを割く人間を揶揄さえするかもしれない。

でも、そんな過去の自分がバカだったとは思わない。いやそらバカなんだけど。でもその時の俺がその時の俺なりに効用を最大化する消費活動が一回800円のアイマス一番くじだったってことも、今の俺にはわかるわけだ



こんな風に最近は、むやみやたらと過去を否定することがなくなった

過去の自分と向き合う姿勢は、このくらいでちょうどいいんじゃないかと思う。過去っていうのは未来から見た今なわけで、自己自我同一性が保証されている条件下において自分の過去を否定的に捉えることは、今の自分がいつかの未来において否定されることと同義だから



人生まだまだこれからだ


昔より人生が楽しいことが、本当に嬉しいよ




one of those night(⇔perfect night)

眠い


ワインセラーとして働く自分を想像した時、今までにないような充実感がそこにあるような気がした
人生の形はひとつじゃないよね

戦うことは生きること、というのは
生きるからには戦わなくてはいけないという意味だと思っていたけど、生きるという状態にとって一番自然なのは戦っている状態であるということなんだと思った
戦うことは辛いこと、ではない可能性もあるんだねえ

stand up to the victory

21歳になりました


色々な形で祝ってもらい、とても嬉しかった

来週はフルーツパーラーに行くのだ



今までは「どう生きるか」ということについて悩むことが多かったけれど、最近は「どうやって生きるか」ということについてよく考えている


生きるというのは、ただ生きるだけでそれはもう大変なことだ


だからこそ、それを前向きに捉えたいなあと強く思うのです


強くなろうね

生きるということ

強くなければ生きられない


弱い人間は強い人間と対等になれないからだ


弱いならば強い者に虐げられればよい。気を遣われればよい。しかしそれらに耐えることもまた強さであり、その強さがない人間はどうしたってまともではいられない


強くならなければいけない


生きていきたいのなら


強くならなければいけない


生きていきたいのだから

もう少し月が綺麗だったら

月がもう少し綺麗だったら



今日は皆既月食だった
あとから知ったのだが、150年に一度のモノらしい

夜街に出ると、周りの人はみんな空を見上げていた

なんとなくふわふわした、特別な日なんだという空気に包まれた街

促されるように空を見上げると、ちょうど月全体が食われて真っ暗になったタイミングだった。薄く赤みがかった月は、なるほどたしかにいつもと違う姿だった

みんな月を見ていた

キャバクラの呼び込みらしきおねーちゃんも、酔ったサラリーマンの集団も、ホテルから出てきた中年カップルも

みんなが月を見ていた

みんながどこか幸せそうに見えた

僕は月を見るのをやめ、逃げるようにラーメン屋に向かった



就活は始まったばかりだ

aiko最強楽曲リスト

aiko最強楽曲リスト(2018/1/27)

 

 

・花火(桜の木の下)

・桜の時(桜の木の下)

・赤いランプ(秋 そばにいるよ)

アンドロメダ(暁のラブレター)

・キラキラ(彼女)

・シアワセ(秘密)

・milk(BABY)

・あの子の夢(BABY)

・向かい合わせ(時のシルエット

・君の隣(泡のような愛だった

・明日の歌(泡のような愛だった