久しぶり!ノセは何してるの?
新年らしく抱負記事
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「おーHじゃん久しぶりだな。今アメフトやってんだっけ?」
「そうそう。中高大ずっと運動しかしてねえわマジで。ノセは今何してるの?」
「あー。いやサークルとかもやってねえし、なんもしてねえな笑」
という会話をしたのが去年の暮れ。
この会話に若干の後ろめたさと違和感があった。
後ろめたさについてはわかりやすい。なんもやってない状態を再認識させられて、自己肯定感が高まるわけがないからだ。
では違和感について。
何してる?がそもそもよくわからんのである。
時間の使い方ということで考えればバイトと授業とゲーム、だろうか。というか基本的には寝ている。Hと比較すれば、寝ながらスマホをいじっている時間が彼にとってのアメフトのようなものかもしれない。
これを先ほどの会話に当てはめるなら
「寝ながらYouTube見てるわ笑」
だろうか。うーん求められてる応えじゃない感がすごい。俺の今の状態を適切に表していててかつHの望む形式の模範解答がなんだったのかがわからなかった。このモヤモヤが違和感という形で表出したように思う。
モヤモヤの原因はどこにあるのか。
Hの場合は本人も言っている通り中高大とガチの運動部で頑張っている人なので、何かをしているという状態が自然なのだろう。
私はといえばそんなこともそんな意識も毛頭ないので、「何してるの?」に任意の「〜をしている」で答えられるのが当然、みたいな感覚がないのである。だから違和感があった。
私は〜してる人間ではないのである。
そして個人的には、〜してる人間である必要はないと思っている。そりゃそうか
〜してる人間であることの1番のメリットは「忙しい気になれる」ことだ。(と勝手に思っている)
人は忙しい気でいることが好きだ。忙しいというのはつまり何かをやっているということで、その分なんとなく成長しているような気になれるからだ。
なんの目的意識もなしにその感覚に溺れるようなことがあっては本末転倒だし、実際そういう人も多い。だからダメだと言うわけではないが、まあ結局その感覚があろうとなかろうと成長如何にはなんの関係もない。だから、〜してる人間である必要はない。
まあ普通にやりたいことやってるだけの人もいるんだが、吹奏楽系とかにはなんとなく何かをやっておこうみたいな意識の人もいる気がする。偏見かなこれ
まあつまり、〜してるを無理に作る必要はないということが言いたいのである。
しかし今思えば(書いてて本当に今思いついた)俺は「今楽しいと思うこと」をし続けて生きていこうとしていたはずだ。今楽しいことをする人間である。
そう考えるとこれがまさに探し求めていた模範解答だったし、その場で咄嗟にこれがでなかったというのは少なからず問題だ。
今楽しいことをしようと考えて結果クソみたいな生活を送るのと、なんとなくフラフラとクソみたいな生活を送るのでは天と地の差がある。
のんべんだらりと日々を生きる中で、日々を楽しむことへの全力さや意識の高さがなくなってしまっていることがよくわかる出来事だった。
もっと日々を楽しむ意識を持たなくてはいけない。
そして後から見返した時に楽しそうな自分でありたい。もっとガンガン写真を撮り、日記を書こうと思う。
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★というわけで今年の目標。ででん
・「とりあえずYouTube」を減らす
(見たいものだけ見る。見なくてもいいYouTubeを見るのは実入りの悪い安定行動)
・どこかに行ったら必ず自分の顔入りの写真を撮る
(景色の写真は綺麗だが楽しそうじゃない。ついでに写りが悪いと萎えるので表情や身なりに気を使うようになる(?))
・飲んだ帰りに武蔵家を食うのは月一まで
(食わなくていいものを食うな定期の中でも犯罪が過ぎるムーブ)
これ、〜してる人間の話関係なく俺の具体的な問題意識を並べただけなのでは?
目標の動機付けとして上の話があると思ってたんだけど、同値なのかもしれんなこれ。
ここまで読んでくださった方ありがとう2019年もよろしく