浮草日記

メルヘン系ブログ

走り去るのは簡単でしょう

モヤモヤユキちゃんシリーズ

 

 

最近、苦手な人がいて悩んでいる。

 

今まであまりなかったパターンだ。

 

苦手な人、または苦手そうな人からは距離をとるし、相手も俺に対して距離をとることが多い。

ファーストコンタクトで一度大きくダメージを受けることがあっても、継続的に苦手な人と関わり続けて悩むということはあんまりないわけである。

 

じゃあなんで今回はそんなことになっているかというと

相手が俺のこと苦手じゃなくてむしろ悪く思われていないっぽいのに、俺は相手のことを苦手だからである。

 

先に言っておくと恋愛関連の話ではないので悪しからず。その人男だし

 

悩むという言い方をしたが、悩んでいるわけではなく単純に交流するたびメンタルが削れるというかんじ。めちゃくちゃディスられるとか、下に見られるとかならわかりやすいがそうではない。悪いやつじゃないのだ。むしろ落ち度が思いつく限りほとんどないと言っていい人間だ。

 

なのに苦手だからマジで面倒なのだ。

 

俺も彼も普通にしているだけ。その「普通」が噛み合わねえのである。これは育った環境の差からくる価値観やらの違いからくるものなのだろう。それはわかる。

 

でも、今までの人生で出会ってきたそういう人間とは、そのほぼ全てにおいてそれなりに仲良くできてきた。ただ一点、相手が俺のことを嫌いみたいなオーラを出さないというところのみを満たしていればだ。

 

彼はというと、それを満たしているにもかかわらず仲良くなれる気がしない。本当に苦手なのだ。というか苦手、なのだと思う。この感覚をどう表現するのが一番適切なのかは、俺自身にもよくわからない。

 

彼が俺によく構ってくるのが不思議でしょうがない。もうほんとに、よくわからない

 

 

とにかく俺にとって重要なことは一つ。

彼が特異点なのか、それともありふれたタイプで今後の人生にもこのモヤモヤが起こりうることなのか、ということだ。

 

おそらく後者なのだろう。

今まで俺が仲良くできるタイプだと思って生きていた集合の範囲は、実はもう少し狭いものなのかもしれない。

 

自分の見識の狭さを思い知る感覚からは久しく遠ざかっていたので混乱してしまったが、まあ結局新しい体験があったらそれに合わせて生き方を最適化する他ない。

 

彼を受け入れるうまい方法が見つかればそれが一番いいし、そうでないならメンタルへのダメージと彼を蔑ろにする申し訳なさを天秤にかけてうまく釣り合いをとることにしよう。

 

 

俺のモヤモヤ消化記事にしては珍しく結論が出た。おしまい

日曜日

昨日の夜はサッカーを見ながら寝落ちして、朝起きると昼の11:30だった。

ベッドから体を起こしリビングへ。弟がテレビに流しているポケモンカードの大会をぼーっと見ながら、用意されている朝食を摂る。父母は二人でどこかに出かけると言っていた気がする。

昼飯も適当に食べろと寝ぼけた頭で聞いた覚えがある。今朝は巨大生物に追いかけられる夢と女の子と一緒に檻に収監される夢を見たので、母親の言葉はおそらく現実のものだろう。

 

一応弟に確認を取ってから昼食を作る。作り終える。食べる。食べ終える。

 

今日はなんの予定もない日。早めにやりたいことリストをぼんやり思い返してみる。

TSUTAYAに行ってMy Chemical LomanceのCDを借りる、酒をこぼして壊してしまったiPhoneの充電器を買うあたりだろうか。どちらも急務ではない。曲はまあYouTubeでも聞くことはできるし、充電器は余りが一つあるので一応それを使えばよい。いや曲はWi-Fiの繋がらない外でも聞きたいし、充電器はよれよれのものを使い続けたくもないのだが。

 

とかなんとか考えているうちに家を出るのが面倒になったので外出はナシ。珍しく弟も私も家にいたので、二人でパワプロをやる。ボコボコにされる。ポケモンカードをやる。ボコボコにされる。

 

M1を見るために早めに風呂に入る。

父母が帰ってきた。M1を見ながら夕食をとる。今日の夜は母親の誕生日を祝うということで、少し高い肉を食い食後に少し高いケーキを食べた。

まさかこの歳になってまで母親の誕生日にハッピーバースデーを歌うとは、10年前の同じ時期には想像もしていなかった。が、まああまり深く考えないことにする。

 

夜はアーセナルvsトッテナムノースロンドンダービーを見る。世界最高峰のイギリスプレミアリーグでBIG6(6強)同士の試合。しかもダービー!激アツ!!!

 

を見終わって今これを書く。すぐに次の試合が始まるので、それを見ながら寝ようと思う。

 

今日は外出をせず、就活も勉強もしなかった。久しぶりの日曜日らしい日曜日だったね。まる。

 

 

逆さにした少し気の抜けたサイダー

最近満たされないと思うことが減った

 

いいことなんだと思う。満たされないという感覚の苦しさに耐えられなかった時期が一番キツかったし、そこからなんとか抜け出すことをある種目標にして設定して生きてきた(たぶん)からだ

 

でもそれが達成された今どうかといえば、それに対して脳死バンザイができない。なんかモヤモヤするのである。どういうことか

 

不満足であることにはそれなりにメリットもあった。より「正しい」「完璧な」状態に向かっているという感覚は、気持ちいいのである。不満足であることはつまり、今より不満足でない状態が存在すると信じることでもある。誰だってもっといい自分、あるべき自分があると想像(妄想?)したいものだ。そして今の俺には、そういう理想の意識が希薄になってしまったのだろう。

 

不満足でない状態にある程度たどり着いた今(単に酔っているだけなのかもしれないが)思うのは、「不満足でない」と「満足している」は全然イコールで結び付けられるものではないということだ。加藤あい阿藤快くらい違う。これがいいな状態を志向していたはずなのに、これでいいや状態に収束してしまったような感覚があるのである。

 

不満足な状態を解消するために、井の中の蛙になることを自ら選んでしまったというか。具体的に言えば、自分が一時的に受け入れられない考え方や人間や集団を完全に外のものとして規定することで、安寧を得てしまった。その結果今の俺があるかもしれないな、と思うのである

 

酔ってる時に考えていることだから後から同じ感覚になれる保証もないし、まとめる気もないからこのまま公開。あんまり整合性のある文章にはなっていないと思う。読んでくれた人いたらごめんありがとう

つまらない話

最近割とよくインターンシップのためのESを書いている。就活である。やっとこさ重い腰をあげてみたわけだが、やってみるとこれが思ったより悪くない。案ずるより産むが易し定期&もっと早くやっておけばよかったなあ定期である。

 

さておき、そんなこんなでESを書いていると「努力が身を結んだ経験」と「リーダーシップをとって何かをやり遂げた経験」を聞かれることが多い。

リーダーシップはともかくとして、努力が身を結んだ経験がマジでキツい。前にも言ったかもしれないけどそこが俺の脛なのだ。

まともにやったら体育会系マチズモ野郎に負けるのは目に見えている。ので、ほぼほぼでっちあげで今まで見た他の人の経験を自分のものにして書くパターンと、多少弱くても自分の経験から書くパターンを両方試してる。

どっちかばっかり受かったりしたら面白いななんて思っている。今後の展開に乞うご期待。

 

冒頭でもちらっと述べたが、意外と俺はESを書くなりwebテストを受けるなりといった作業が苦ではないようだ。自分を見つめる作業を飽きるほどやってきたことによる、数少ない目に見える恩恵かもしれないな。サンキューメンヘラブログ。

 

悪くないとは言ったが、それはなんかこう、社会的に正しいとされる行動をとることに安心しているだけな気もする。まあそれでもよい。今は冬で冬は寒いのだ。

 

明日の朝起きられますように。おやすみユキ〜

重影

明日はそれなりの関係の子と、嵐山渓谷に紅葉を見に行こうという話をしていた

しかしなんだか気分は乗らないし、紅葉前線を見るとまだ見頃でないらしい。来週以後に予定を遅らせたいがなんせもう前日だし、そもそもの日程を提示したのも俺だしで気分が重い。バイトが始まるとスマホを見れないので、その前に意を決して(3時間くらい粘った)相手にライン。予定遅らせない?と聞いてみる

 

以前(といっても具体的にいつまでというのがあるわけじゃないけれど)の俺だったら、何も言わずに微妙な気分のまま明日の予定をこなしていたかもしれないと思った。まさにこなすといったかんじ。人との約束が急にふっ、と面倒になってしまうことがある。そうなると、予定を楽しむことができる精神状態になかなかなれないのだ

 

五分くらいして相手から了承の旨が返ってくる。ありがたい

 

心の重荷を下ろすと、ふとKissHugが聞きたくなった。イヤホンをつけてスマホを操作すると、耳に落ち着いたイントロが流れ始める

 

 

友達だなんて 一度も思ったことはなかった

あなたに 出会ったあの日から

 

Aメロが始まる。こうして文字にするととんでもなく重い歌詞だ

KissHugはどこまでも内省的な曲だ。今はそれがとても心地よく感じられる

 

me, my depression, and my ideal holiday

日増しに寒くなる季節のせいか、近頃私は鬱っぽい気分になることが多かった

 

あらゆることに対してやる気が湧かず、自分や他人や或いは世界が、とてもつまらないもののように感じられてしまう感覚。「つまらない」「しょうもない」「くだらない」の無気力三銃士に、私の生活はすっかり塗り固められてしまっていた。

一度そういう気分になってしまうと、なかなか自分で脱するのは難しい。大学に行かず、家でダラダラとサッカーやYouTubeに違法アップロードされたお笑い番組ディスカバリーチャンネルなどを見て過ごした。時間が過ぎるのをただ受け入れていた、という方が正しいかもしれない。この時私は一人の生活者でなく、私の周りを眺める観測者であった。それがなんであれ、過ぎゆく時間とその使われ方をただぼんやりと受け入れるだけの存在だった

 

この流れに終止符を打つべく、私は早寝早起きを始めることにした。私はこれまでもたびたびこういった精神状態に陥り、その終止符は生活習慣の改善によって数多くもたらされてきた。早起きはできなくとも、とにかく早く寝ることだけは徹底した。風呂に入る30分ほど前からスマホを手放し、ゆっくり湯船に浸かり、風呂を出ると歯を磨き軽いストレッチと筋トレをする。それが終わるとすぐ布団に入り、寝つきが悪くともじっと眠気がくるのを待った

目が覚めるのはたいてい9時から10時の間で、なんとか授業に間に合う日もあればそうでない日もあった。全体としては少しづつ起床時間が早まっているので、このままいけば安定して授業に間に合うようになるだろう。日ごとの結果に一喜一憂することなく、習慣を身につけようと決めた

 

 

 

10/31は休日だった

 

授業は全休で、これといった予定もない。この日は目覚めると11時だった。ベランダに出ると日差しが強く暖かいが空気は冷たい。なんとなく食べたくなった蕎麦を茹で、用意されていた朝食とともに食卓に並べる。結果少し多めになってしまった昼食を食べながら、ぼんやりと今日を豊かな日にしようと決めた

夜に酒を飲む約束を入れ、丸々空いた午後の時間の使い方について思案した。どこかに行くか行かないか、一人で過ごすか人と遊ぶかというところが第一の論点だ。私はどこかに行くことを早々に決め、悩んだ挙句一人で過ごすことに決めた。これは極めて短期的で実際的な理由から決めたことだったが、後から振り返ってみるとなかなかの英断であった

 

普段は寄りもしない本屋で普段は買いもしない文庫本を買う。コンビニでは普段買う100円のプライベートブランドのお茶を棚に戻し、パッケージが気に入った「デカフェ」(カフェインレスをこう言うらしい)の午後ティーを買った

 

ふらふらと電車に乗り、近くの〜川駅で降りる。セブンイレブンで少し高いマウントレーニアを買い、歩き始めた。車窓から見えた景色を頼りに少し歩くと川にぶつかり、そのまま川沿いを30分ほど歩いた。少し高いマウントレーニアはまずかったのでもう2度と買うことはないだろう

 

その後も休憩を挟みつつ、時々看板や地図アプリを見て小目標を設定しながら歩き続けた。

大型車両だらけの私以外に誰も歩いていない大きな国道や、前述の川が合流したもっと広い川の河川敷、地方大学のキャンパスなどをだ

 

私はどの地点においても、正しく孤独だった

それは時折ベッドの中でどうしても感じてしまう孤独とはまったく違う感覚だった。一人でいるために満たされているのでなく、一人でいて且つ満たされていた。一人でいることと満たされていることはそれぞれまったく独立した事象で、それらが同時に存在していた

心は不思議なほど落ち着いていた。落ち着きすぎると逆に落ち着かなかったりもするが、そんなこともなかった

 

日が暮れてきたのでバスに乗って駅に向かい、私の孤独な旅は終わりを迎えた。夜は酒を飲み、遅い時間に家に帰った

 

そのせいで生活習慣はまた崩れるかもしれない。また整えればよいと思った