浮草日記

メルヘン系ブログ

落ちぬ取れぬ消えぬあなたへの

ここ数日頭が痛い

 

が今日のブログの書き出し。季節のせいなのかなんなのか知らんけど、最近ずっと微妙に頭が痛い。

 

これを読んだ人はどう思うだろうか。辛そうだなとか、鬱っぽくなってるのかなとか思うかもしれない。

なんにせよ頭が痛いからどう、という話のはずだ。

 

さて、ここ数日頭が痛いことに対する俺の感想は

 

なんかここ数日頭痛えな。である。

 

文字にするとめちゃくちゃアスペっぽいけどちょっと聞いてほしい。

 

病は気からというが、気も病からくる。

腹痛とか歯痛とか、テンションを下げるタイプの体調不良は多くあり、それきっかけで鬱っぽくなることはある。

本来頭痛もそのうちの一つであるはずだ。

 

にも関わらず頭痛え以上の感想がないのは、なんかこう不思議な感覚なのである。それだけなんだけど

 

頭痛えわ萎えるな〜とかもない。なんかよくわからん

ポエム

欠けた歯のふちを舌でなぞる。

 

鋭利で、ざらざらと無骨な感触。

 

少し扱いを間違えれば、自分の舌さえ傷つけてしまうだろう。

 

欠けた歯にとっては、それが自分の肉かどうかなんてどうでもいいことだ。忖度の介在する余地はない。

 

そこには歯のあるべき姿があり、野生がある、と思う。

 


柔らかく調理された肉でなく、自分以外の生を食いちぎるための器官。

 

自分さえ傷つけかねない無遠慮な野生。

 

それが本来の歯のあるべき姿だ。

 

サバンナに生きる肉食獣の生を支える牙。

 

他者を狩らずとも餌が手に入る我々は、いつしか牙を必要としなくなった。

 


そんなものが、今私の中にある。

 

私の中に間違いなく存在しているということが、なんとも不思議に思えた。

 


私は社会性ヒトである。理性的ヒトと言い換えてもいい。それは何も特別なことではなく、現代の我々は多くが社会性ヒトとして生きている。

 

社会性ヒトは、社会に牙を抜かれた動物だ。

 

他人に、自分に、ヒト種にとって危険でないように。脅かさぬようにと進化してきた結果が今の私の在り様だ。

 

野生を理性で抑えつける。抑えつけているうちにそれはどんどん小さくなっていく。

 

ついに野生は完全に潰えたように思えた。

 

つい先ほどまではぼんやりとそう思っていた。

 


しかし、野生は生きていた。

 

体の奥底に潜り込み、じっと息を潜めていた。
それを私が勝手に死んだと思い込んでいただけだ。

 

そしてそれは、今こうして突然姿を現した。

 


鼓動が少し早い。

 

野生が生きていた。

 

私の中で生きていた。

 

ふわついた高揚感と、曖昧なエネルギズム。

 

俺は今生きている。

誰がアスペなんだ?

MZNとミラノのやりとりについての考察記事

 

 

◾︎はじめに

 

まずはこの記事を書こうと思った経緯から。

 

twitterにて。MZNとミラノの会話が面白かったので、私はどちらがアスペか?というアンケートを投げました。我々は卒業以来、生ぬるい社会の中でいつでも白か黒かの闘争を求めています。

 

ですが、結果として非常に票が割れました。

 

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後からスクショを取りにいったらまあまあ票が固まっていましたがまあいいでしょう。

 

とにかく、結局何がどう悪くて会話が噛み合わなかったのか?というところが明確になりませんでした。

 

アンケートを投げて面白がっておきながら中途半端な帰結を認めるのはいささか居心地が悪いので、私の意見を述べることで少しでもその責任を取らせていただければと思います。(嘘松並の濁点量)

 

ツイートの機微から二人の考えを想像し、意図を整理しつつ流れを追っていこうと思います。

 

 

◾︎本論

 

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きっかけはミラノのこのツイート。おいしそう。

 

さらにこの料理が作れることに絡めて、結婚相手が欲しいといった旨のツイートをします。

 

 

「家庭生活を営む上で必要な料理の能力は、洒落た食い物を作る力より、なる早で腹にたまって美味くて栄養バランスの良いものを作る力だとか思った。」

この流れでMZNが空リプをツイート。

 

ここで前者のお洒落な料理を『洒落飯』、後者の家庭的な料理を『家庭飯』と定義します。

ここでのMZNの意見は、洒落飯作る能力よりも家庭飯作る能力のが結婚した後に役立つんじゃない?ということになります。

家庭飯を作る能力は洒落飯を作る能力よりも上、もしくは全く別のものであると考えていることがわかります。

 

 

「そんなもの一人暮らし2年したら誰でもつくぞ」

これにミラノがリプを返します。

 

『そんなもの』とは家庭飯を作る能力。

洒落飯しか作れないわけではなく、当然家庭飯も作れるということです。

洒落飯を作ることができるということは家庭飯も作れるということである、または家庭飯は比較するまでもなく簡単なものである(そしてそれはある程度世間で共有された事実である)というミラノの考えがわかります。

∴洒落飯>ミラノの家庭飯

 

 

「俺は自分だとまだそのレベルまで達している自信がない。一つ上のレベルまで達した上でのモテ飯か。奥が深い」

MZNの返信。

 

『そのレベル』は家庭飯を作る能力があることなので、MZNの中では家庭飯をきちんと作ることは難しいと考えていることがわかります。

難しい家庭飯を作れる上で、あえて洒落を作っている。というイメージでしょうか。

∴MZNの家庭飯>洒落飯

 

これらをまとめると、

MZNの中の家庭飯>洒落飯>ミラノの中の家庭飯

または

ミラノの中の洒落飯>家庭飯>MZNの中の洒落飯

 

ということになります。

私はこのズレが、今後の会話をいまいち噛み合わないものにしたと考えています。

 

余談になりますが、このズレが起きた原因はミラノが一人暮らし、MZNが実家暮らしをしているところにあるでしょう。

ミラノは生活上の必要性に応じて沢山の家庭飯を作り、反面MZNは生活を豊かにする洒落飯を作ってきました。

自分の比較的不慣れな分野を過大評価、もしくは慣れた部分を過小評価するのは人の常なので、その領域が逆の人間同士の会話にズレが生じるのはある意味自然とさえ言えるでしょう。

 

また、MZNは多少このようなズレにぼんやりと気づいているフシがあります。が、確信がないので特殊な手段で探りを入れました。

その手法とは、家庭飯を作る能力を『一つ上』と表現し、家庭飯>洒落飯という立場を明確にしたというところです。

これにより、もし自分の感じているズレが正しいならば相手が指摘してくれる。そうでないならまた別の問題が生じていると判断できると考えたのです。(たぶん)

 

しかしこの書き方には思わぬトラップがありました。次で見ていきます。

 

 

「せっかく一人暮らししてるそ人呼びたいやん?なんか振る舞いたいやん?そしたらその領域に達したくなるやん」

ミラノの返信。

 

先ほど見たように、MZNの言う『一つ上のレベルまで達した上でのモテ飯』は家庭飯を作る能力がある上での洒落飯。という意図でした。

がミラノはそれを洒落飯を作る能力と取りました。MZNの意図と逆の形で伝わったのです。

 

なぜか?

『一つ上のレベルまで達した上でのモテ飯』という書き方からは

一つ上の洒落飯>家庭飯>しょぼい洒落飯

という構図も描けるためです。たぶんミラノは④をこのように受け取ったんだと思います。

(この辺からあまり考察に自信がありません。)

 

 

「たーしかに。すごいおもてなしの精神。

でもそれは婚活じゃなくて恋愛活動的な意味合いが強そう。

家庭料理らしからぬモテそうな飯を作れること自体への疑問というよりは、婚活というマーケティングのターゲットには訴求しないメッセージを発信してるところが引っかかったんだな。」

MZNの返信。

 

この辺からマジでわからないんですが、おそらくMZNは先ほどまで自分の中になかったミラノの発想に気づきました。

それか、よくわからないのでわかった感を出して有耶無耶にしました。どちらかは不明です。

 

 

この後は文意のままの会話が続く(たぶん)ので割愛します。

 

 

 

◾︎結論

 

結局アスペは誰なのでしょうか?

 

私の結論は『どちらもアスペではない』です。

 

本論に書いた私の解釈が正しければ、お互いがお互いの意図を読み取りながら会話しており、わかりにくいながらもズレをうまくいなして会話ができているように思えるためです。

 

ただ、会話を難しくしたのはMZNの方かな、と思います。

正確に読解できれば一つの解釈に収まり、情報量も多い素晴らしい文章なのですが、少し人や機会を選ぶかな、というのが考察班としての私の印象です。

 

また、今回はお互いがお互いの意図を読めているという前提でお互いの文章を考察したので、どこかで致命的にずれている可能性もあると思います。

 

ただもうそれは私にはわかりませんでした。

 

ミラノもMZNもアスペをしていない

ミラノがアスペをして、それにMZNが気づいている

MZNはミラノがアスペしたと勘違いしているが、実はそうではないのでMZNがアスペ

 

この全く異なる3つの事象は、同じ顔をして私に語りかけてきます。

 

可能性の樹形図が広がっていくうちに私は恐ろしくなり、そっと筆を置くことを決意しました。

 

 

『アスペを覗く時、アスペもまたこちらを覗いている』

 

これが今回私の得た結論です。

 

あんまり人の意図を正確に読もうとしても自分がアスペになるだけなので、適度にラフな会話を心がけることがアスペ事故の予防につながるのではないでしょうか。

 

 

最後に。

この記事を公開することで、両名は「ここはこういう意図だった」「ノセは勘違いをしている」と思う点がいくつもあると思います。

 

私の読解力のなさが両名への誤解を生むことについては大変申し訳なく思います。ぜひ指摘してください。

 

ただあまりそれを加熱させすぎぬよう。アスペを覗きすぎぬよう、ご注意いただければと思います……

 

長くなりましたがこの辺りで失礼致します。

お騒がせしている件について

◼︎はじめに

 

まず、クソメンヘラモードの私の支離滅裂な文章に反応してくださった皆様に格別の感謝と、お詫びを申し上げます。

 

具体性な話の全貌が全く見えない状態に対して意見をもらっておきながら、その具体性に基づくレスを返し続けるのは、恩を仇で返す後出しジャンケン的で申し訳なさすぎるので、ここに事の顛末をまとめたいと思います。

 

 

 

◼︎前提となる状況の解説

 

 

きっかけは彼女の新しいバイト先での話。

 

彼女は二ヶ月くらい前に鉄道会社でアルバイトを始めた。ホームに立って案内やら放送やらをする仕事。まあ要は駅員さんだ。

 

特に朝のラッシュには人手が必要だからバイト全部で30人くらいの大所帯で、当然鉄道が好きな男が多い。女の子は2割くらいしかいない職場。

 

マジのオタクだらけなので積極性をもって女に話しかけるやつはあまりいないが、その中に1人だけまあまあイケメンがいる。

 

御察しの通り、彼女がそいつにロックオンされている。

 

シフトがかぶるたび(基本固定のシフトなので、普通に働いていればかぶる)、サシで飯に誘う。ゲームが好きという話をすると、ボコボコにしてやるからスマブラやろうぜと一人暮らしの家に誘う。(マジでキモくねえか?)

彼氏いるっつってるのにガンガン誘う。周りにもわかるように露骨に彼女だけに話しかけ、誘う。(マジでキモくねえか?)

 

彼はバイトの中でもイケメンみたいな扱いなので、ぽっと出の女に彼を持って行かれた女子連中は当然面白くない。(実際にそのイケメンが好きな子もいるらしい)

 

男はというと、彼に対抗できるだけのパワーを持った人間がおらず、本当に特に何もしない。そいつの作る空気に合わせてお似合いだなと囃し立てるくらいしかしない。

 

という状況。とにかく味方がいない彼女としてはあんまり強く拒絶せずなあなあでやっていきたいので、軽く拒絶して察してねムーブをする。しかし無視というか、知らぬ存ぜぬムーブで返される。

 

どういうことか?例えを出そう。

彼は彼女をサシともそうでないともとれる言い方で飯に誘う。彼女は嫌だと言うと角が立つので、他の人も誘おうよみたいな言い方でやんわり返す。その場は皆で飯に行く流れになるが、次の日にはまたサシともとれる飯に誘ってくる。みたいな

 

ちなみに彼女がいいよ。とだけ返すと、他に誰も誘わずサシで飯を食いに行くことになったらしい。死ね。

 

まとめると彼は、角を立てたくないという彼女の気持ちをおそらく知りながら、それを利用してまで彼女に擦り寄っているわけである。しかも彼氏がいることは伝えているのに、だ。

 

 

もし彼女が強い言い方で拒絶をするとどうなるだろう。

「いや彼氏いるから付き合うとかないわ。ごめんね」

 

のようなドストレートな表現である。おそらく

 

「いや全然そんなつもりじゃないんだけどw単純に仲良くしたかっただけだが自意識過剰か?笑」

 

みたいに返されるはずだ。どう見てもんなわけねえだろカス。

彼女いわく『顔だけで生きてきたタイプ』の彼は、プライドが高く我慢がきかない人間であるようだ。一言で表すと姑息なのである。

 

 

そんなかんじで、クッッッッソめんどくさい状況に彼女は立たされている。

立場があるので無下にはしづらいが、牽制はすべてパワーで返されてしまう。八方ふさがりというわけ。二方だけど。

 

 

もうバイト辞めればよくね?

と思うのが当然だと思う。だがそれもあまり得策ではない。

仕事内容自体は、彼女がとても気に入っているからだ。

 

バイトで実績を積めばそのまま総合職に就職できるルートもあるらしく、経歴に寄り道が多い彼女はそれも狙ってこのバイトを始めたらしい。私から見てもかなり意欲的に働いている。

その甲斐あって、史上最速で研修生を卒業したらもしている。

 

折角好きな仕事内容で努力も実っているのに、こいつのせいだけで辞めるのもいかがなものか。という気持ちから、どうしてもなあなあで先延ばしな対応になってしまう。

 

ここまでが前置き。誰が読むんだこれ

 

 

 

◼︎ツイートに至る経緯

 

で、こっからが本題。

俺はこの状況がめちゃくちゃ嫌なのである。

 

一応補足しておくと(というかこれが一番大事な情報かもしれない)彼女はたぶん本当に俺のことを好きでいてくれている。
そしてそれは俺もわかっているので、浮気の心配をしているとかではない。

が、自分の彼女に一生そんなクソキモい擦り寄り方をしている男がいるというのは、それだけで気分のいいものではない。

 

ので、今までもちょくちょく彼女にそれを伝えてきた。

こういう手合いは、一度強く拒絶しないといつまでも確信犯ムーブ(誤用ガーディアン)を繰り返すので、俺としては一度強く言うしかないと彼女に主張する。

 

ただやはり彼女の立場からするとそれは難しく、また彼女は元々好意を無下にするのが苦手でもある。

 

酒を飲みながら、あるいは解散後LINEでその辺の話をしていたら、なんかお互い悲しくなってしまったのが今日というわけ。

 

はっきり言えば、俺が彼女の立場ならもっとうまくやれる自信がある。

 

初めからもっと拒絶しとけばよかったのにとか、弱い言い方で強いことを言うこともできるのにとか、そもそも俺の束縛が強すぎるのか?とか、頭がおかしくなりそうになっている中思わず呟いてしまったのが

 

"彼女が狙ってくる男のかわし方苦手なんだけどどうすればいい?誰か知恵をわけてくれ"

 

だった。

 

 

"俺の感覚としては、男にキモい擦り寄られ方するだけでめちゃくちゃ嫌なんだけど、彼女は相手にできない状況でなければ(思い入れのある彼氏がいる状況でなければ)特にそうでもないらしいということが話していくうちにわかった。俺の中の「女子の感覚っぽいもの」が女さんすぎるのが悪い"

 

というのは、俺は彼女の立場に立って考えることで彼女のためを思ったつもりになっていたが、必然俺と彼女の感覚は違うのでそれがとても的外れになってしまったと気づいた時のツイート。

 

キモいアプローチを受けることについては、特に何も思わないらしい。その辺は俺の感覚と大きく違う。まあそもそも性別違うしな。

 

 

"ファソラファド〜ラソ〜ド〜ソ
ファレラ〜ファミ〜
ミ〜レ〜ミ〜ファソド〜ファ
ソラシ〜シラシラソ〜"

 

千と千尋の神隠しのメインテーマ曲のサビのとこの音階。小学生の時にリコーダーで吹いたものだが、なぜかこういうのって覚えてたりするよね。

 

 

"ユキちゃんが拒絶して欲しいならするよって言い方するんだけど、そうだけどそうじゃねえんだよなってなる。けどきっとそれを受け入れる他ない"

 

彼女は俺が浮気を疑っていると勘違いしており、こういう言い方になる。この時点ではまだ俺は100%彼女のためを思ってアドバイスをしているつもりだったので、やるせなくなる。そうじゃねえんだよなというのはそういう意味。

 

きっとそれを受け入れる他ないのは、薄々自分のためでもあることに気づいているため。

 

 

 

◼︎帰結

 

俺の反省するべき点は一つ。

 

自分が「彼女がキモいアプローチを受けている」という状況にストレスを感じているから彼女にもっと強く拒絶してほしかったのに、あたかもそれを彼女のためみたいな認識で訴えてしまったことだ。これに尽きる。

 

正確に言うと、彼女のためでもある。

 

うまくやる能力がないならば、この手合いはいつかどこかで強く拒絶する他ない。そうしない限り面倒が体積するだけなので、その分量が一番小さい今行動を起こすべきだ。

 

が、それは彼女が決めることである。

 

俺の主張は簡潔だ。

『彼女がキモいアプローチ受けてんのマジでしんどいから、大変なのはわかるけどなあなあで誤魔化すのやめない?』

 

以上。

 

別にそれが受け入れられない、または結果がすぐに出ないからと言って怒ったり別れを切り出したりするわけではない。

とにかく俺にできることは気持ちを伝えることで、それ以上でもそれ以下でもない。何もこの件に関してだけでなく、恋愛に限らず、人と人との関係は初めから終わりまでそうだ。

と思っている。

 

 

◼︎蛇足

 

前述の結論に至り己の身勝手さを反省した私は

「この件で一番しんどいはずの君に、味方であるはずの俺が負担をかけてしまったことについてとても申し訳なく思う。」

 

と伝えた。

 

彼女は

「お前こういうことあると萎えて急に別れようとか言うタイプっぽいけど、んなこと言ったら殺すからな。」

 

的なことを言ってくれた。実際はこんなサバサバしたやりとりじゃないけど、まあなんかうまくまとまりました。お騒がせしてごめんね

街を埋め尽くす桜の花に夏を待つ私

今日が21歳として迎える最後の夜になるらしい。

 

17から18、18から19、19から20の誕生日などには、これから何かが大きく変わるかもしれないという漠然とした感覚があった。何も行動をおこさなくとも、明日の自分には今までになかった何か特別なことが起きるのではないか。意識的に考えていたわけではないが、なんとなくそういった期待感をもって誕生日と一つ上の年齢を受け入れて来た。(ほんとか?)

 

でまあこの歳になるとそんな感覚はもうなく、しかしまあやっぱり感慨がないといえば嘘になる。感慨がなかったらこんな記事が存在するわけがないのだ。

 

最近は気分が落ち込むことはあっても、悩んだり自分の方向性について考え込むことは少なくなった。つまり実際にそれを選択できるかは別にして、合理的な選択肢が常に最適解として頭に提示されているような状態である。

 

三行で矛盾するが、しかしここ二、三日はまた少し昔のような悩み方をしている。

なんでだろうと考えれば、もっともらしく実際的な理由はいくつかある。思い当たる節というやつだ。

 

でもそれは、説明になっているようでなっていない。それらは悩みが表層化する要因であって、悩みそのものがあることを説明していない。

ってことは「なんでここ二、三日」の説明にはなってるか。思いついたことを適当に打ち込んでいるのがバレたけれど、まあ俺の問題提起がどこにあるのかは大体わかってもらえたと思う。

 

なんかこう、根っこの部分にモヤモヤしたものがあって、それはうまく隠すことができても消えているわけではないんだよなあということ。22歳のうちにケリがつくのか、はたまた死ぬまでのお付き合いなのか。

 

正体くらいはわかるといいね。よい一年になりますように

 

キレているメモ

日本対イランを見た人はいるだろうか?

 

イランがクソ、審判がクソ、ひいてはキャプテンの吉田がクソ

 

試合がインタビューの吉田

「試合も終わってたし、次に向けてカードをもらうのが一番ダメ」

 

たしかにね。いやわかるよ?

でもね?それもうサッカーじゃないわけ。本格トーナメントRPGなわけ

トーナメント勝ち上がるのが目的なのはわかるけど、サッカーでの勝利を目指してほしい。相手をサッカーの土俵に引きずり込んででも

 

まあ口で言うのは簡単だねってのもあるんだけど

 

やられっぱなしじゃつけあがらせるだけ。イランよりも審判を相手にもっとうまく戦わなくてはいけない。熱くなる必要はないが、本当に一番冷静でクレバーな判断は無言で意味不明な判定に耐えることじゃねえ

その結果選手が怪我したらどうすんねん。カードもらうよりよっぽどやべえだろ。最後大迫プレー関係ないとこで足首蹴られてんだぞ?それでも日和見すんのか?遠藤怪我してんだぞ?

 

吉田ほんとにもっとしっかりしてくれ。長谷部と同じだけやれとは言わないから

ー テスト後編集するかも

久しぶり!ノセは何してるの?

新年らしく抱負記事

 

 

 

 

「おーHじゃん久しぶりだな。今アメフトやってんだっけ?」

 

「そうそう。中高大ずっと運動しかしてねえわマジで。ノセは今何してるの?」

 

「あー。いやサークルとかもやってねえし、なんもしてねえな笑」

 

 

という会話をしたのが去年の暮れ。

この会話に若干の後ろめたさと違和感があった。

 

後ろめたさについてはわかりやすい。なんもやってない状態を再認識させられて、自己肯定感が高まるわけがないからだ。

 

では違和感について。

何してる?がそもそもよくわからんのである。

 

時間の使い方ということで考えればバイトと授業とゲーム、だろうか。というか基本的には寝ている。Hと比較すれば、寝ながらスマホをいじっている時間が彼にとってのアメフトのようなものかもしれない。

これを先ほどの会話に当てはめるなら

 

「寝ながらYouTube見てるわ笑」

 

だろうか。うーん求められてる応えじゃない感がすごい。俺の今の状態を適切に表していててかつHの望む形式の模範解答がなんだったのかがわからなかった。このモヤモヤが違和感という形で表出したように思う。

 

モヤモヤの原因はどこにあるのか。

Hの場合は本人も言っている通り中高大とガチの運動部で頑張っている人なので、何かをしているという状態が自然なのだろう。

 

私はといえばそんなこともそんな意識も毛頭ないので、「何してるの?」に任意の「〜をしている」で答えられるのが当然、みたいな感覚がないのである。だから違和感があった。

 

私は〜してる人間ではないのである。

 

そして個人的には、〜してる人間である必要はないと思っている。そりゃそうか

〜してる人間であることの1番のメリットは「忙しい気になれる」ことだ。(と勝手に思っている)

人は忙しい気でいることが好きだ。忙しいというのはつまり何かをやっているということで、その分なんとなく成長しているような気になれるからだ。

なんの目的意識もなしにその感覚に溺れるようなことがあっては本末転倒だし、実際そういう人も多い。だからダメだと言うわけではないが、まあ結局その感覚があろうとなかろうと成長如何にはなんの関係もない。だから、〜してる人間である必要はない。

まあ普通にやりたいことやってるだけの人もいるんだが、吹奏楽系とかにはなんとなく何かをやっておこうみたいな意識の人もいる気がする。偏見かなこれ

まあつまり、〜してるを無理に作る必要はないということが言いたいのである。

 

しかし今思えば(書いてて本当に今思いついた)俺は「今楽しいと思うこと」をし続けて生きていこうとしていたはずだ。今楽しいことをする人間である。

そう考えるとこれがまさに探し求めていた模範解答だったし、その場で咄嗟にこれがでなかったというのは少なからず問題だ。

 

今楽しいことをしようと考えて結果クソみたいな生活を送るのと、なんとなくフラフラとクソみたいな生活を送るのでは天と地の差がある。

のんべんだらりと日々を生きる中で、日々を楽しむことへの全力さや意識の高さがなくなってしまっていることがよくわかる出来事だった。

 

もっと日々を楽しむ意識を持たなくてはいけない。

そして後から見返した時に楽しそうな自分でありたい。もっとガンガン写真を撮り、日記を書こうと思う。

 

 

 

 

★というわけで今年の目標。ででん

 

・「とりあえずYouTube」を減らす

(見たいものだけ見る。見なくてもいいYouTubeを見るのは実入りの悪い安定行動)

 

・どこかに行ったら必ず自分の顔入りの写真を撮る

(景色の写真は綺麗だが楽しそうじゃない。ついでに写りが悪いと萎えるので表情や身なりに気を使うようになる(?))

 

・飲んだ帰りに武蔵家を食うのは月一まで

(食わなくていいものを食うな定期の中でも犯罪が過ぎるムーブ)

 

 

これ、〜してる人間の話関係なく俺の具体的な問題意識を並べただけなのでは?

目標の動機付けとして上の話があると思ってたんだけど、同値なのかもしれんなこれ。

 

ここまで読んでくださった方ありがとう2019年もよろしく